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浦嶋神社は、浦嶋太郎のモデルとなった浦嶋子を祀った京都府伊根町に鎮座されている神社です。
伊根地域における浦嶋伝説は、人口減少著しい伊根町にとっても貴重な観光資源でもあります。
しかし、前回の再建から約140年が経過し、長い年月の間、雨・風・雪によって傷みが大変激しく、そのうえ、台風による倒木で本殿に歪みが生じ、建物を維持することが困難となっています。
- 達成率
4%
- 達成金額:
- 724,300円
- 目標金額:
- 20,000,000円
残り1492日2時間40分
事業実施団体
浦嶋神社創祀1200年記念事業奉賛会
プロジェクト概要
実施期間
2023年11月15日〜2028年11月14日
目標金額
20,000,000 円
寄付方法
寄付の申し込みをこちらからお願いします。
http://www.plus-social.jp/donation.cgi?pjid=156
⬇︎
・クレジットカード
・郵便振替 京都地域創造基金寄付口座 00930-4-312262
通信欄に「浦嶋神社」と記入ください。
・銀行振込 GMOあおぞらネット銀行 こかげ支店 普通 4311205
ザイ)キヨウトチイキソウゾウキキン ウラシマ
※いずれの方法も必ず事前にお申し込みをよろしくお願いします。
(領収書の発行や、適切に皆様のご寄付を寄付先へお届けするために必要です。)
本プロジェクトへの寄付は税制優遇の対象です。
詳細はこちらをご覧ください。
浦嶋神社について
浦嶋神社は、天長2年(825)に創祀され、境内の宝物資料室には玉櫛笥(玉手箱)をはじめ、浦嶋明神絵巻など浦嶋伝説ゆかりの宝物を展示しています。
社殿は本殿、拝殿、中殿で構成されており、本殿は茅葺の神明造、拝殿は権現造となっています。平成26年(2014)4月25日には、社殿全体が国の登録有形文化財に指定されました。
拝殿正面の彫刻には、龍をはじめとする動植物の彫り物が施されていますが、これは江戸時代に活躍した丹波国(兵庫県柏原市)の中井権次(1854~1928)による作です。
中井権次は徳川将軍家御抱えの彫刻師であり、西の左甚五郎と称される天才的な彫刻師として元和元年(1615)に名前が登場します。その一族により大正時代まで受け継がれ、明治17年(1884)に再建された当神社の棟札にその名が明記されています。
浦嶋神社にまつわる民族文化財・宝物
・延年祭花納行事(宇良神社延年祭 昭和63年4月15日 京都府登録無形民俗文化財指定)
延年祭は『福棒祭り』とも言われ、延年祭宵宮の夕日沈む刻に花納行事が執り行われます。
17日は祈年祭・延年祭が執り行われ特殊神事となっています。
・河来見翁三番叟(平成6年2月2日 伊根町指定無形民俗文化財指定)
元々、筒川地区の河来見集落の三柱神社の祭礼行事ですが、戦後に一度浦嶋神社に奉納された以降、過疎化により途絶えていました。
その後、昭和63年に有志で以って「翁会」が設立され、平成元年3月から浦嶋神社の延年祭の時に開催されるようになりました。
令和2年から新型コロナウイルス感染症の影響により、3年連続中止となっています。
・宇良神社祭礼芸能(昭和60年5月15日 京都府指定無形民俗文化財指定)
前日の宵宮には、各地区から手丸提灯を先頭にして、高張提灯等の順に並んで伊勢音頭を歌いながら浦嶋神社に向かいます。神社の参道にかかると大声でかけ声をかけながら一気に拝殿に駆け込み、この後、各地区の若者が裸になり一団となって激しくもみ合います。
祭り当日は、各区から太鼓台を曳いて宮入し、神事が終わると、くじで決めた順に祭礼 (棒振り・小太刀・大太刀・花踊り)が奉納されます。
令和2年から新型コロナ感染症の影響により3年連続中止となっています。
・宝物資料室
資料室には、浦嶋明神絵巻掛幅形式、亀甲紋櫛笥(玉手箱)二合、能面、室町幕府初代征夷大将軍・足利尊氏寄贈の酒壺等を展示しております。
また、宮司が浦嶋物語の歴史説明と浦嶋明神縁起の『絵解き』を行います。
・浦嶋明神縁起絵巻掛幅形式 (室町時代初期)
室町時代のもので、浦嶋太郎が住んでいた水乃江里から蓬莱山の国に至るまでと帰ってきてからの出来事等を古い書物をもとに細かく描かれた、日本最古と云われる浦嶋を物語る絵巻の一部です。
・滝山(布引の滝)登山道整備の様子
浦嶋神社に向かって左手に見える滝山(雲龍山・布引の滝)は拡幅絵巻にも描かれている神社と縁の深い山です。
現在、町内外の有志で構成する滝山保勝会の会員34名で以って定期的に登山道の整備や簡易な休憩施設の設置、本庄城の整備などが行われています。
伊根町観光協会を通じての申し込みにより、登山客の案内をしております。
事業内容
国の登録文化財に指定された御社殿の修繕を行ないます。
当社は、平安時代初期の天長2年(825)に創祀され、以後33年ごとに屋根の葺き替え、66年毎にお社の建て替えが行われてきました。
旧社殿は、元治元年(1864)4月13日の火災による類焼で、隣接の真言宗の寺院(来迎寺)と共に焼失し、明治17年(1884)5月に現在の社殿が再建されました。
焼失から再建まで20年の長い歳月を要しており、現金収入の無い時代に奉賛金の取りまとめやケヤキ材の調達等、先人達の大変な苦労があったと思われます。
その後の御遷宮は行われておりませんが、再建から約140年が経過し、長い年月の間、雨・風・雪 によって傷みが大変激しく、そのうえ、平成16年(2004)の台風23号による倒木で本殿に歪みが生じ、後世に伝えていくために、本殿の解体修理、基礎工事、防災施設整備を行うものです。
防災施設整備は、国の登録文化財に指定された御社殿を火災から守るためのもので、平成13年に社殿全体の施設整備を行いましたが、本殿の解体修理に伴って本殿のみの再整備を行うものです。
現社殿(拝殿・中殿・本殿)は、明治17に再建後約140年が経過し、傷みが激しくなっております。そのうえ、平成16年の台風23号による倒木で本殿が右寄りに傾き、全体としても歪みが生じました。
屋根は、平成18年に葺き替えしましたが、腐食が進んでおり、本殿の解体修理に伴って葺き替えするものです。
事業スケジュール
(令和7年度) 素屋根工事 ⇒ 茅葺解体 ⇒ 木部解体・調査 ⇒ 加工・刻み・繕い ⇒ 基礎工事
(令和8年度) 組立⇒茅葺き
(令和9年度) 防災施設整備等